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ヴェールライト ⑪

last update Last Updated: 2025-05-05 17:52:09

 リノアは手紙を閉じて息を深く吐いた。そこには言葉にできない思いが滲んでいる。

 書斎の空気は重く、まるでラヴィナの筆跡が今もこの部屋に息づいているかのようだった。

 シオンの探求、森の危機、星詠みの力――手紙に綴られた断片的な情報が未完成の絵のように、リノアとエレナの心に新たな問いを投げかけている。

 リノアは視線を落とし、指先で紙の質感をそっとなぞった。

「戦乱で消えた者たちが生きている……」

 リノアは震えた声で言った。

 指先に残る紙の感触が現実のものとは思えないほど重く感じられる。

 噂では聞いたことがあった。戦乱のさなかに逃げた戦士たちが、森のどこかの集落でひっそりと暮らしているという話や、街へと連れ去られた者たちが今も影のように生き延びているという話を……

「噂の域を出るものではないけど、街に行った人たちから目撃例を何度か聞かされてる。もし、それが事実なら……」

 エレナの声が沈黙を破り、書斎の空気をわずかに震わせた。

 戦乱の後、多くの者が姿を消した。亡骸の数を照らし合わせれば、単に命を落としたのではなく、何者かによって連れ去られたと考えるほうが自然だ。

 戦力を削ぐため――もしそれが真の目的だったのなら、彼らは今もどこかで生きているのかもしれない。

 もちろん父と母も……。

 誰もが忘れかけていた名が、今、目の前で蘇ろうとしている。その可能性がリノアの鼓動を速めていく。

──確かめなければならない。

 リノアは再び手紙を開いた。

「ヴェールライトの鍵は水鏡の湖。そこへ赴けば、星詠みの力が目覚める。か……」

 リノアが自分に言い聞かせるように呟く。

 星詠みの力……。それが何を意味するのか、まだよく分からない。だけどシオンが求めたもの、森を脅かす危機、そのすべてが私をそこへ導いている。

「鉱石を掘り、森を冒涜というのは、あの人影たちのことでしょうね」

 エレナは冷静に一つの事実を確認するように言った。

 この危機的な状況下であっても、まだ欲に囚われる者たちがいる……。

 彼らにとっての鉱石は、生存のために不可欠なものではない。それは金銭、名誉――欲望を満たすためのものだ。

「どうやら動いている者はグレタだけじゃなさそうね。慎重にならないと」

 エレナの目が鋭く光った。

 レイナのあの冷たい目も気になる。トランも言っていたように、何か裏があるのではな
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     あの幼かった日のことが想い出される。 あの日、リノアは広場の端に一人で佇み、父や母と楽しんでいる友人たちを眺めていた。 子どもたちは駆け回り、大人たちは屋台で買った食べ物を手に笑い合う。誰もが笑顔で楽しそうに言葉を交わしていた。 しかし、そんな賑やかな光景を目の前にしながらも、リノアの心はどこか遠く離れていた。 俯いたままのリノアを気に留める人はいない。リノアには村人たちの笑い声が遠い世界の出来事のように感じられた。 ひと息ついて、リノアは広場をそっと見渡した。けれど、笑い合う人々の中でリノアの視線に気づいてくれる者は誰もいない。 リノアは広場の賑わいから目を背け、再び地面に視線を落とした。足元の小石をつま先で転がし、手をぎゅっと握りしめる。 どうして私だけ…… 佇んでいた時、どこからともなく足音が聞こえた。誰かが駆け寄って来る。「リノア、これあげる」 見上げると、そこには兄のシオンが立っていた。手には笛が握られている。 戸惑いながら笛を受け取ると、シオンはそのまま何も言わずに、広場の向こうへ立ち去った。 私はただ、その背中を呆然と見つめた。 シオンに手渡されたのは、緻密な彫刻が施されたヴィーンウッドで作られた笛だった。その木目は滑らかで美しく、手の中に優しい感触を残した。                       ◇              夜風が頬を撫で、現実へと引き戻されたリノアはシオンに貰った笛を眺めた。木の温もりが肌から胸の奥にじんわりと伝わってくる。この感覚は、あの日、初めて笛に触れた時と同じものだ。 ほんの少し前まで父と母と手を繋ぎ、皆と同じように満面の笑みで広場の中心ではしゃぎ回っていた。その幸せは永遠に続くものだと信じていたのに…… 突然すぎる別れが、その幸せを容赦なく奪い去っていった。 心にぽっかりと空いた穴は埋める術もなく、ただひっそりとそこに居座り続けているばかり。 シオンは、そんな私を元気づける為に母から受け継いだ大切な笛を譲ってくれたのだ。 あの頃のシオンは多くを語らず、不器用で自分の優しさを言葉にすることが苦手な人だった。でも、その無骨な優しさこそが、私には何よりも愛おしく感じられる。 私の心はあの日、壊れてしまった。それを誰かに話すことも、共有することもできず、ただ日々の中で飲み込んで

  • 水鏡の星詠   ヴェールライト ⑦

     森は呼吸しているかのように穏やかな気配を放っている。もう今日は誰も襲っては来ないだろう。 リノアは疲れ果てたトランが眠りにつく様子を見つめた。無邪気な寝顔をしている。日に焼けた頬とほんのりと紅潮した鼻が愛らしさを引き立てている。 トランは今日、クラウディアから託された手紙をしっかりと抱え、森の中を一人で歩いて来た。夕方以降という危険な時間帯にもかかわらず、怯むことはなかった。トランは役目を果たそうと必死だったのだ。 トランが必死に任務を遂行する姿を想像すると、胸に込み上げてくるものがある。きっとトランに無理をさせている。 クラウディアさんがトランに手紙を託したのは、彼に困難を経験させ、成長の機会を与えたいという願いが込められていたからに違いない。 それだけ村の置かれている状況が深刻なのだろう。だからこそ、クラウディアさんはトランにあえてこの役目を任せ、未来に繋がる力を育てようとしたのだ。「乗り越えなければならない壁……か……」 リノアは自分に言い聞かせるように呟き、もう一度トランの寝顔を見つめた。 きっとトランは、この経験を通じて、より逞しく成長する。 リノアはトランの髪を軽く整えると、そっとその場を離れて机に向かった。 星見の丘での出来事をクラウディアさんに伝えなければならない。 研究所内はインクや薬草、埃の香りで満たされている。落ち着きのある空間だ。 リノアは書きかけの手紙に目を落として、再び手を動かした。 この辺りの村民ではない、見知らぬ人たちが古木の根元で鉱石を掘っていたこと。その人物が「生命の欠片ではない」と口にして悔しがっていたこと。掘り出した光る水晶のような鉱石を使った際、周囲の草花が枯れたことやシカが荒れ狂った様子。そして、シオンと繋がりがありそうなラヴィナに会いに行くこと。 これらの事実をリノアは淡々とした筆致で書き留めていった。 ふと目を上げると、机の上にシオンの持ち物が散乱していることに気づいた。ガラスの瓶や星の紋章が刻まれた道具箱、そして獣を撃退した際に触れたペンダントと同じ種類の鉱石……。──この鉱石はペンダントと同じ効果を発揮することはなかった。おそらく加工されたペンダントには何らかの特殊な技術が使われている……。シオンの研究の結晶なのかもしれない。 ペンダントが光を放った際に現れたビジョンの記憶がリ

  • 水鏡の星詠   ヴェールライト ⑥

    「だけど、どうして私の能力や龍の涙のことを知っているんだろう」 そう言って、リノアは深く息を吸い込んで、そして続けた。「シオンが亡くなったことまで知ってるなんて……。グリモナの村と交流はあるけど、そこまで密接な関係でもないのに……。何か目的があって、私たちに近づいてきたとしか思えない」「確かにね」 エレナはリノアの言葉に同調し、真剣な表情で話し始めた。「グレタの態度には何か違和感があった。穏やかに話していたけど、視線が鋭くて、私たちの話を探っているような感じだった」「随分と森のことを心配している様子を見せていたのに、その言葉の裏に別の意図があったってことか……」 リノアは表情を曇らせながら言った。「まだ分からないけど、その可能性もあると思う。私たちがどこまでのことを知っているのかを探っていたとかね」 エレナは冷静さを保ちながら慎重に言葉を紡ぎ、少し間を置いて、さらに続けた。「いずれにしても目的が分かるまでは注意しないとね。クラウディアさんが言うには、他の名家たちも龍の涙を狙っているってことだし」 エレナとリノアの間に漂う空気が、一層引き締まった。「そうだね……」 リノアは息を整えながら、視線を手紙に戻した。 グレタの動向は気にしなければならない。だけど、レイナの様子も気になる。 レイナの森の奥に意識を向ける態度は一見、無関心に見えた。だけど、あの人は何かを隠している。 もっと深い何か別の計画があってもおかしくはない……。「何だか大人って汚いよね。裏表があってさ。やな感じ」 トランが少し不機嫌そうにぼそりと呟いた。 トランは少し口を閉ざした後、視線をリノアたちに向けた。その目には、何かを確かめたいという切実な思いが宿っている。「ねえ、リノアたち、ラヴィナのところに行っちゃうの?」「うん。私が村に留まれば村に争いを呼び込むことになるしね」 リノアが言った。「そんなことないよ。戻って来てよ」 トランが不安そうに言うと、リノアはトランの方を向いて微笑んだ。「行かなければならないし、クラウディアさんも旅立って欲しいと思ってるから……」 そう言って、リノアは視線を遠くに向けた。「そうかもしれないけど、きっとクラウディア様はリノアを逃がそうとしているのだと思うよ。村に居たら危ないから。何か、そんな気がするんだ」 トランの表

  • 水鏡の星詠   ヴェールライト ⑤

    「気になるのは……」 エレナが口を開き、眉を少し寄せながら思案深げな表情を浮かべた。「グリモナ村の村長グレタ、そして女性戦士レイナよ。この二人が何の目的でリノアについて尋ねてきたのかがはっきりしない。クラウディアさんは注意するようにって、警告してくれてるけど……」 エレナが警戒して言った。「グレタとレイナってどんな人たちなんだろう」 リノアは手紙を見つめながら、小さく呟いた。「トラン、見張りをしていたなら、この二人に会っているんじゃないの?」 エレナの問いかけに、トランはすぐに答えた。「もちろん、会ってるよ」 トランは得意げな口調で答えた。「その人たちは昨日の夕方に村に来たんだ。グレタって人はクラウディア様より老けていて、レイナって人は背の高い女の人。様子は普通じゃなかったよ」 トランは見張りの時の光景を思い出しながら語った。「普通じゃなかったって、どういうこと?」 エレナが眉をひそめ、慎重に問いかけた。「何ていうか……言葉では上手く説明できないんだけど、あの二人は何かを隠しているように感じたんだよね」 トランが自信なさげに言った。「もしかして……昨日、道ですれ違った二人のことかも」 リノアがハッとした様子で目を見開いて言った。「そう言われてみれば……。きっと、あの二人だわ。あの二人で間違いないと思う。あの時は、ただの旅人だと思ってたけど」 エレナもその場面を思い返し、真剣な表情になった。 部屋に緊張感が漂う。 トランの言葉とリノアたちの記憶が繋がり、グレタとレイナが単なる訪問者ではないことをリノアたちに確信させた。 グレタたちが何を目的としているのか、その意図が見えてこないまま、不安が増幅していく。「その二人がグレタとレイナなら、グレタとは直接、会話を交わしてる……」 リノアは記憶をたどりながら、慎重に言葉を選んだ。「でもあの人たちってリノアのことを、リノアだと気づいてなかったよね」 エレナは真剣な表情で言葉を発した。「私やシオンのことを人伝に聞いて知ったってことなのかな」 リノアは手紙から目を離し、少し考え込むように言った。「付き添いの女性、レイナは殆ど口を開かなかったわね。あまり私たちには関心がなさそうだった。意識を常に森の奥に飛ばしていたし」 エレナも記憶をたどりながら言葉を発した。 レイナか。

  • 水鏡の星詠   ヴェールライト ④

     手紙を読み終えたリノアは、しばらく手紙を見つめ、クラウディアの言葉を一つ一つ心の中で反芻した。その目には、どこか迷いがある。 リノアはクラウディアの思いを深く感じ取り、深い思考に沈んでいった。 手紙の言葉の端々にはリノアを案じる母親のような温かみのある愛情が込められている。「クラウディアさん、私が外の世界に行きたがっていたことに気づいてたみたい……」 リノアの表情に複雑な感情が浮かんでいる。「でも……本当は引き止めたかったんだと思うよ」 エレナがふと口にした。 エレナの声にはクラウディアの心情を思いやる優しさが込められている。「うん、分かってる」 リノアはそう言うと、視線を床に落とした。「本当は心配でたまらないけど、リノアならきっと大丈夫だって。クラウディアさんはリノアを信じることを選んだのよ」 エレナがリノアに寄り添いながら言葉をかけた。──私を信じて…… リノアは目を伏せたまま、胸の中に広がる思いに心を寄せた。──今までも外の世界を見てみたいという願望はあった。しかし、ノクティス家という自分の立場を考えたら、自由に動き回ることなんて許されるはずもない……。 ずっと心のどこかで、自分は一生この村から出ることはできないのだと諦めていた。だけど今、それをクラウディアさんが壊してくれた……「クラウディアさんは私のことを信じてくれている。私はその想いに応えたいと思う」 リノアは意を決したように顔を上げた。──もう、ここに踏み留まる理由はない。クラウディアさんが私の背中を押してくれている。 リノアはペンダントを握り締めた。 ヴェールライトの冷たい感触がリノアに揺るぎない覚悟を与える。「クラウディアさんは分かっているのよ。リノアなら、この森の未来を切り開くことができるってね」 エレナが柔らかな声で言い、優しい瞳でリノアを見つめた。「村を守りたいって思うところ、何だかリノアらしくて良いね」 トランが二人の間に割って入った。 トランは明るく振る舞っているが、どことなく哀しげな雰囲気を秘めている。「私がついてるもの。どんな困難が降りかかっても、絶対に乗り越えられるわ」 エレナはまっすぐにリノアの目を見つめて言った。その表情には仲間としての覚悟が滲んでいる。「ありがとう。エレナ、トラン」 リノアは二人の言葉を微笑んで返した

  • 水鏡の星詠   ヴェールライト ③

    「でもさ、あのシカなんで消えたの?」 トランが問いかけるように口を開いた。 その瞳には驚きとほんの少しの不安が混じっている。 リノアはヴェールライトのペンダントに視線を落としながら、答えを探るように考え込んだ。 森そのものが姿を変えた存在—— あの存在と対峙した時に私の心に芽生えた感情。それは恐怖ではなく、森が私に語りかけ、包み込むような不思議な感覚だった。「もしかしたら……森そのものが怒りや悲しみを、あのシカの形を借りて表現していたのかも。それが鎮められたから、霧と共に消えていったんじゃないかな」「えっ、あれってシカじゃないの?」 トランが不思議そうな顔でリノアを見つめる。「違うと思う……」 リノアは少し戸惑いながらもそう答えた。その表情には完全な自信があるわけではない。しかし自分の直感を信じようとする姿勢が感じられる。「私も何となくだけど、殺してはいけない気がした」 エレナの瞳には、どこか遠くを見るような思索の色が浮かんでいた。「森そのものが、私たちに何かを伝えようとしたのだと思う」 リノアの声には不思議な重みがあり、トランとエレナは無意識のうちに聞き入った。 トランは一瞬、口を開きかけたが、言葉が見つからないようで、すぐに口をつぐんだ。 室内に静寂が訪れる。「何だか、よく分かんないや」 トランがぽつりと呟いた。 リノアはトランに微笑みかけ、トランの混乱を受け止めた。「ああ、そうだ。クラウディア様から手紙を預かっていたんだった。リノアに渡してって」 トランが慌てた様子でポケットから紙を取り出した。それを受け取ったリノアは、クラウディアの文字が綴られた手紙に目を通す。 紙の表面には、独特の筆跡でこう書かれていた。リノアへ 星詠みとしての力を真に目覚めさせた時、あなたは龍の涙を完全に使いこなす資格を得るでしょう。 この龍の涙が秘める力は人類にとって必要不可欠なものです。しかし、その力を軽々しく扱ってはいけません。使い方を誤れば、その力は必ず破滅への道を開きます。 龍の涙の存在は決して知られてはならない。知られたら必ず奪いに来る者が現れます。その危険を忘れてはなりません。 グリモナ村の村長グレタ、そして付き添いの女性戦士を名乗るレイナ。この者たちが村にやって来ました。 グレタはリノアについて色々と詮索してきまし

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